正田先生のどうぶつ物語第八話 動物にかかわる仕事がしたい
第八話 動物にかかわる仕事がしたい
私が動物に関わる仕事をしていこうと、本気になって考えたのは終戦後のことでした。私の父はパン酵母を作る会社を経営していたので、私に跡を継いでほしかったようですが、私はあまり、というよりぜんぜん実業には向いていない(笑)。好きな動物に関わっていきたいと思っていましたが、あの時代ですから、「好き」だけでは仕事を選べない…。でも、当時、食糧増産の一環として、畜産業を独立した分野として確立すべきだという気運もあり、畜産は学問として注目されようとしていました。畜産科を新設する大学も増えていました。私はそんな状況から畜産を学び、研究者、そして、教育の道を選びました。もっとも、いちばん大きな理由が動物と接する仕事がしたいということでしたが(笑)。

大学院を終えたのは昭和27年。その頃、北海道の町村牧場、宇都宮牧場そして有名な小岩井農場や、繁殖養豚の立川養豚場などはすでにありましたが、本格的な牧場は非常に少なく、まだ畜産業という分野は確立されているとは言えませんでした。その頃の平均的な農家は、田畑を耕すためにウシやウマを役畜として飼っていました。つまり、ウシやウマなど家畜を飼う目的は、田畑を耕すための労働力で、牛乳や食肉確保という感覚はあまり浸透していませんでした。ですから、東大の牧場実習にも、「牛耕」とか「馬耕」といった科目がありました。当時、私はすでに指導する側だったのでまぬがれていますが(笑)。

その後、昭和30年代に入って耕運機、トラクターなどが導入され機械化が進んでくると、田畑を耕す労働力としての家畜が不要になり、家畜はウシやブタの用畜(畜産物生産用の家畜)が中心になってきます。それまでの畜産科では、戦時中の軍馬の伝統を引き継いでウマを専門とする研究者が多かったのです。戦後日本の動物研究は、農学部畜産科という名前に表れているように、食糧増産という時代のニーズに沿った家畜研究が中心で、私もブタやヒツジを専門に研究してきました。学問は、このように時代のニーズが追い風になって、裾野が広がったり、より深い研究が進む側面をもっていると思います。そして、その学問が進むことで、ビジネスとしての広がりも見せる、畜産という学問分野はその典型的な発展をしてきたといえるでしょう。

そういう点で言えば、人と動物の関係学も同じような発展を見せているように思えます。
イヌやネコなどコンパニオンアニマルの研究はこれからですが、コンパニオンアニマル リサーチの仕事に関わっていると、時代のニーズははっきり感じられる。私が畜産を選んだ時代とは違い、物質的に豊かな時代になったからこそ、コンパニオンアニマルの研究の必要性は高くなったともいえます。私自身は大学を退官してから、子供の頃好きだった動物園の動物に夢中になっています。自分自身の動物への関わり方、周囲の人々の動物への愛情などを考えても、動物は人にさまざまな恩恵を与えてくれていると感じます。日本の食糧事情を変えた畜産業の発展とともに研究を続けてきた私にとって、人と動物の関係学の発展は非常に楽しみです。人間の心に、社会にどんな影響をもたらすか、それがどんどん解明されることでまた大きな変化が訪れるかもしれません。
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