正田先生のどうぶつ物語第七話 「忠犬ハチ公」が渋谷駅に通っていた理由は?
第七話 「忠犬ハチ公」が渋谷駅に通っていた理由は?
渋谷駅ハチ公口といえば有名ですし、ハチ公の銅像もおなじみだけれど、なぜハチが渋谷駅にいるか、今では知らない人も多いようですね。私が子供の頃、ハチは毎日のように渋谷駅に現れて、「ご主人の帰りを迎えに来る忠犬」として有名でした。昭和9年頃だったかな。私も母に連れられて渋谷に出かけたときに、じっと座っているハチを何度か見かけています。小さい頃から動物が大好きだったので「あれが有名なハチ公か」とわくわくしましたが、動作も大儀そうで、毛色も悪く、すでにかなりの高齢だということがわかりました。結局、その翌年、13歳で亡くなっているので、彼を渋谷駅で見ることができたのもその年ぐらいまでだったようです。

そもそも、ハチの話が広く知られるようになったのは昭和7年に新聞で取り上げられたことがきっかけです。忠君愛国が至上の美徳とされていた時代ですから、主を慕うハチのエピソードはその頃の日本人を感動させてくれたのでしょう。小学校の教科書にも載り、「忠犬ハチ公」を知らない日本人はいないほどの人気でした。

でも、実際にはちょっと違う、という話があります。ハチは、もともと東京農科大学の教授だった上野英三郎先生の飼い犬で、主であった上野先生は大正14年に亡くなられています。帰ってこない主を待って渋谷駅に日参するというのが「忠犬ハチ公」のストーリーですが、駒場に通われていた上野先生は遠回りになるのであまり渋谷駅をお使いにならなかった。そのため、ハチが渋谷駅に通っていたのは主のお迎えではなく、他に目的があったのでは、と言う説があります。その目的というのは餌がもらえるということ。当時、渋谷駅には動物好きの駅長さん(東武動物園の名誉園長西山登志雄氏の父君)がいて、昼の弁当をいつもハチに分け与えていたということですし、ハチが死んだ後、胃袋の中から竹串がたくさん見つかったという話も聞きました。駅前の焼き鳥屋で酔客から焼き鳥をもらっていたらしい(笑)。

ただ、ハチが十年以上も渋谷駅に通っていた真意のほどはだれにもわかりません。上野先生は農林省や農事試験場に出勤されることも多く、その場合は渋谷駅に向かわれていました。主を待っていた可能性もないわけではないけど、弁当や焼き鳥が目的であった可能性もあるわけです(笑)。でも、酔客や、駅員、乗降客などにかわいがられて、ハチがコミュニティの中で愛されていたのは事実でしょう。小さな子供も「あ、ハチ公だ」と目をとめ、大人もハチに話しかけ、心を癒されている。ハチの存在はみんなに温かさや思いやる心を運んでくれたといえるでしょう。伴侶動物という概念はない時代ですが、動物がいることで人の心にさまざまな影響を与えるというのは今も昔も変わらないものだな、と懐かしく思います。
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