「動物に関わる仕事についたきっかけは?」とよく尋ねられます。そんなとき、学習院中等部の5年間、伝書鳩部に入っていたことが、私の原点だったかもしれないと思うことがあります。鳩舎の中の独特なにおい、番いの鳩の鳴き交わす声、不恰好な雛の奇妙な愛らしさ、大豆やトウモロコシと麻の実を混ぜるときのものすごいほこり、レースから帰らぬ鳩を待って、祈るような気持ちで見上げていた西の空の夕焼け…。鳩は少年時代の私にいろいろなことを教えてくれました。そして、そんな経験が私を動物の世界に連れてきてくれたように思います。
伝書鳩は、もともと軍事目的で訓練され、新聞社などでは取材先からフィルムを送る通信目的でも使われていました。当時は鳩のレースも頻繁に行われていたので、私たちも鳩の訓練を日課にしていました。最初は鳩舎から10mほど離れた場所から鳩舎に用意した餌を目指して飛ぶように仕向け、どんどん遠くから戻ってくるよう仕付けていきます。遠距離の練習には、鳩を入れたかごを持って学習院に近い目白駅まで行って「松戸駅で放してください」「柏駅で放してください」と職員さんに頼みます。すると、あとで放した時間の連絡が入り、鳩のかごも目白駅まで返してくれることになっていました。
レースや訓練中に戻ってこなくなる鳩もいました。箱根の山を越えるときにオオタカやハヤブサの餌になってしまうものや、仲間や餌を見つけてレースを途中でリタイアするものもいたようです。レースは鳩の持つ帰巣本能を利用するわけですから、鳩舎から近い場所で放すときはおなかが空いているときのほうが早く帰ってくる。だけど、300kmあまりの遠距離レースだと空腹ではだめ。エネルギーになる麻の実などを与えます。また、子どもをもつ母親は他の鳩に比べて体力が劣るけれど、帰巣本能が強い…というようにそれぞれの鳩の個性や状況で勝敗は違ってきます。いつも世話をしていると、それぞれの鳩の特徴や性格もわかるようになります。私は姿が美しく、成績もよい三羽の鳩を勝手に「三国志」の英雄の関羽、張飛、子竜と名付け、可愛がっていました(笑)。鳩は脚に脚帯をつけ、それに番号が書かれているだけなのですが、接しているうちに名前をつけたくなるんですね。
面白いことに伝書鳩部のメンバーは、今も動物にかかわる仕事をしている人が少なくありません。たとえば、岡山・池田藩主の子孫だった池田隆政君は、現在、岡山市にある池田動物園の園長さん。元新潟大学教授で、僕と同じ畜産を専門とする山本興三郎君もクラブの仲間で、東大大学院でも同級生。広島のお殿様の子孫だった浅野長愛さんは山階鳥類研究所の前理事長で3年先輩、動物エッセイストとして知られる実吉達郎君は3年後輩…という具合。池田君は池田山のお屋敷に住み、そのお屋敷には立派な鳩舎もありました。それは専任の人が掃除していたのだろうけど、学校では私たちと一緒に掃除をするわけです(笑)。そんな日々が私たちをそれぞれ動物にかかわる仕事に結び付けてくれたのでしょう。また、今も、さまざまな場面で彼らと会う機会がありますが、彼らとの交友が50年以上も続いていることが嬉しいですね。
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